【幸福の科学的】まぁ、何かを書いたほうがいいのかな、と
思っています。
個人的仏教シリーズではなく、いつ通りの同じことしか書かないのですが、原点を再確認できればいいのかな、と思われます。
まず、最初に、これは会員さんしか読まないと思われるので、会員さん向けに書いているのですが、
私たちがしなければいけないことは、もちろん、何点か、あります。
今回の人生においては、私たちは、
(1)エル・カンターレ信仰を(世界に)打ち立てなさい
と言われています。
それは、世界の隅々にまで、ということだと思われます。
これは、言われていることなので、やはり、こうしよう、という決意というか、意志はもちろん、もつ必要があります。
これについては、不可能なのでは? と考える人がほとんどであるかもしれません。
そのことについては、私は明言できるわけではないですが、可能である、と信じています。
いま、世界で起きていることは、通常の世界では起こりえないことが起きています。
世界で言えば、中東から戦争がなくなりかけています。
そのことの意味は、トランプ大統領が断行して、イスラエルとともに軍事行動を徹底すれば、イランの民主化は、すぐそこにある可能性があります。
また、日本で言えば、統一教会の解散命令がありました。
統一教会と言えば、結局、自民党であり、結局はアメリカの日本支配のための基盤であったことを考えると、ありえないことが起きた、ということになります。
また、まだ、一部言われているだけですが、これまで、このブログで参照させていただいている、優花さんのところの「ゼウ氏」の予定的宣言では、今後、世界の火(光)をいったん、消すことを計画している、という情報も出されています。
それは、金融システムの揺らぎ、ということを契機として、いったん、一時的に社会が停止する可能性がある、ということだと推測されます。
また、日本のスピリチュアル界隈では、一部、2026年後半に入ったので、日本の神々としても動き始めなければいけない、という状況になった、という情報も入っています。
この地震はその最初である可能性があります。
これらのことは、まだ、マイナーな情報であり、確定しておらず、最終的にどのようなことが起こるかはわかってはいません。
しかし、日本のスピリチュアル界隈では、2026年~2028年の3か年で、古い世界の体制の揺らぎが見えてくる、ということになっています。
そうすると、これらは結局、何であるのか、ということになります。
日本で言えば、瀬織津姫、タケミカヅチの神、などの名だたる神々の名は聞きます。
その方たちは、おそらく、レムリアの文明の際も神々の方たちであったのでしょう。
しかし、スピ系全体として、ソース、源であるとか、地球意識であるとか、そういう部分での神の名前しか聞くことはできません。
やはり、いま、この地球が大変革期にあるのであれば、それ相応の責任者の神、あるいは、神々の名前が知られてしかるべきですが、そうした名前は、聞いたことがありません。
結局、日本と世界で起きている、これまでにない大きな動きの変化の最終的な決定者というか、企画した方の名前は、知らされていないのです。
そして、会員さんたちであれば、それは、エル・カンターレである、と信じています。
だから、それこそが真実であるに違いない、と私は考えていま、生きています。
地球には、有名な人がいます。
トランプ大統領やプーチン大統領、という人です。
しかし、その人たちが、地球全体を代表する人か、と言えば、それはやはり、むずかしい部分があるだろう、と思われます。
それらを超えた存在が必要です。
しかし、それが現時点で、地球には存在しないように見えるのです。
エル・カンターレという存在を除いては。
なので、この現時点での符号を考慮すると、やはり、世界は激変し、そして、その最終的な決定者が必要であり、それは、会員さんたちが考えている通りのことであるだろう、と思われます。
であれば、最終的には、世界は、幸福の科学で共通見解を持つこととなるでしょう。
それがなしえる理由として必要なのは、世界の人々が幸福の科学に対して、好意的になる場合のみです。
では、それが、どうやって可能なのか。
それは、人類が意識の向上を行い、高度な宇宙種族と接触をもち、
その結果、この地球において、これまでより、一段以上高い文明の利便を受けて、人類全体が享受する、ということによって可能となるはずです。
これから地球に飛来する高次の宇宙種族の人たちが、エル・カンターレという存在を肯定し、それを認めたとき、
結局、幸福の科学は、人類の味方であった、ということが理解されるようになるはずです。
いま、私が書いているのは、現時点での情報を考慮すると、大川総裁の言われていたことは実現するに違いない、と私が信じている、ということでした。
これを書いたのは、やはり、会員さんがするべきことを明確にするためです。
すなわち、
今回の人生においては、私たちは、
(1)エル・カンターレ信仰を打ち立てなければならない
ということです。
しかし、それは、結局、そのことを信じ、その都度、きちんと行動することによって、結果的には実現してしまうだろう、ということを、私は言いたい、ということです。
しかしながら、反面、それでは、安易すぎる、という面があります。
なぜなら、現状の職員さんの悟りであるとか、説法能力であるとか、企画力であるとか、育成の力であるとか、考えてみると、
これは、いったい、どうなっているのか? というレベルにある可能性もある、
ということが言えるのかな、と、個人的には考えています。
それは、結局、大川総裁が、ご自分ですべてを実現しようと、努力されて、その方向でのエネルギーが膨大に必要であって、
職員さんにかける時間がほぼなかった、ということなのかもしれません。
であれば、職員さんの中に、ある程度以上の大きな力を持たれた方がいて、それで、職員さん自体のレベルを上げる必要があったのだけれど、そうした人が能力的にいなかったのか、あるいは、本当の意味では、危機感がゼロで、結局、客観的には、やる気がなかった、ということになるのかな、と推察しています。
しかし、それは、結局、会員さんにはどうすることもできないし、
大川総裁としては、法話を最大限に提供することによって、職員さん自身に、精進してもらう、という姿勢であったのが、結局、職員さん自身の意識の不足すぎによる、膨大な時間の浪費に終わった、ということなのかもしれません。
私が言いたいのは、基礎の徹底、これです。
すなわち、私たち会員さんは、大きな武器を手渡されています。
それは、仏の法、です。
これは、きちんと理解し、それを熟練して実感として理解するようになれば、大きな基本的知識体系として、膨大なことを説明できるものとなるものです。
私たち会員は、多くのことにおいて、断言できます。
それは、神ご自身が語られている、ということを知っているからです。
誰か、人が、神から啓示を受けて語っている、というのであれば、それは、その人がそういう理解をしている、というだけのことになります。
しかし、神がこうだよ、と言われたのであれば、基本的には、これはこうなのだな、と理解し、それを、ある程度、自信をもって断言することができます。
スピ系の人や、高次の宇宙種族の人が、地獄はない、ということを言ったとしても、私たち会員であれば、仏の意識を推定するので、やはり、なんらかの、そうしたものは、どの世界でもあるのではないか、と思います。
生まれ変わりがない、という宗教があったとしても、私たち会員であれば、そういうことを教えられているだけなのだな、という理解になります。
神から、直接教えていただいている、というのは、これは、通常はありえない話であって、非常に有利な立場です。
よって、このことを深く心においておいてほしい、と思っています。
私たちが持っている知識、理解は、神より託されたものです。
神が人を愛していて、その人たちが、真実を知り、さらに向上し、一歩でも神に近づくことができえうように、と渡された、神からのプレゼントを私たちは手にしているのです。
であれば、私はたちは、どうすべきなのか?
神により任命された、人類への奉仕の人々でなければなりません。
私たちは、神から偉い、と言われた人々ではありません。
私たちは、神から、これで、人類を幸福にしてくださいね、と、尊い仕事を託された人々です。
だから、私たちは偉い人々なのではないのだ、と、きちんと理解しないといけません。
神はすべての存在を平等に造り、そして、すべての存在を平等に愛されています。
そして、私たちは、その神のお手伝いのために、大切な道具を預かっている人々なのです。
であればこそ、誰よりも謙虚で、奉仕の人となれ、
これが、おそらく、最初に来るべきものです。
しかし、それと同時、私たちは、修行者としての立場を忘れてもいけません。
誰よりも、真摯に、誰よりも、情熱的に、誰よりも、力強く、
悟りの道を歩いていかなければならないのです。
もし、あなたのその精進の姿勢を見て、
誰かが血の涙を流して感涙しているのであれば、
あなたは尊い人でしょう。
しかし、実際にはそうではないはずです。
大川総裁の御姿を見ている人は、心ある人は気づくはずです。
若かりしときは、本当に、エネルギーに満ち満ちていたのに、
年齢を経られて、どれほど、力尽きるかのように、弱られていったのか、を。
それは、悪魔の力だけではなかったはずです。
職員の人も、会員の人も、
場合によっては、大きな反省をする必要のある人もいるかもしれません。
修行者とは、結局、道を歩く人であるので、その道を歩いた距離に応じて、世界を見ることができるでしょう。
であれば、自分自身がどうであるのか、程度のことは、最低限のこととしてできているはずです。
けれど、ちゃんとした説法もできない幹部の人であるとか、
無我の姿勢すら、堅持できない職員の人であるとか、
悟りを得ようと思っているのか、と疑問に思う人や
あと何年、プロでいれば、何か、聞くに値する話のできる人になるのだろう?
と思う人もいるかもしれません。
誰か、幸福の科学の幹部の人で、
どこか、有名な会社さんであるとか、どこかから、是非、お話を聞きたいです、
本当によいお話をされるので、是非聞かせてください、
という方はおられるのでしょうか?
修行者として、そのことを恥ずかしくは思わないのでしょうか?
私は、本当に驚いています。
プロという名に値しなく、
プロである、ということ(待遇)を、他者に要求する。
それでいて、ご自分を、本当に、修行者である、と思われているのだろうか?
まぁ、人を批判していいことはないので、あまり批判しないようにしていますし、
伝道はどうですか? と質問された時点で、私は沈黙せざるを得ないので、
ここでやめたほうがいいのですが、
まぁ、レベルは低いな、と感じてしまってしょうがありません。
せめて、謙虚さと、真摯な姿勢だけは堅持しておいてほしいな、と思います。
もう、十分(すぎるだけの時間とチャンス、立場など)、いろいろなものをもらったでしょう。
そろそろ、これまでのチャンスをいかすべきではありませんか?
何か、本当に、やろう、と考えていますか?
せめて、会員さんが目をかがやせて聞いてくれるような、
そうした話を、いつでも、すぐにできなくてどうするのですか?
それで、本弟子である、とか、本当に、思っているのですか?
それは、アマチュアでもありえないはずです。
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